学歴

数千年にわたり中国社会を縛ってきた士大夫的な価値観から目覚める時が来た。『書物の中には黄金の家も美しい伴侶もある』という古い夢に執着すべきではない。20世紀半ば以前は産業が未発達で職業の選択肢も少なく、大学の学位を得て公務員になることが理想とされた。しかし科学技術と産業の発展により、理論や技術を製造業や商業に生かしてこそ社会に真の恩恵をもたらすと分かってきた。閉ざされた大学の象牙の塔だけが世界を変える思想を生む場所ではなく、大学は学位の製造工場となった。学位は自信の源ではなく、学歴が人間の価値を高めるわけでもない。
社会の価値観のゆがみは、学位論文の盗用疑惑をめぐる激しい攻防にも表れている。自分の利益を守るため不合理な説明や虚偽を重ねる人、誰もが同じだと決めつける人、自嘲して批判を気にせず学位取り消しを覚悟する人、沈黙して目立たないようにする人、『政治的操作』の一言で逃れようとする人など、さまざまだ。高学歴であっても必ずしも知識が豊富ではない人々の傲慢や虚栄の背後には、むしろ劣等感と弱さが隠れていると筆者は考える。
何年も前、数人の教授と雑談した際、知識の狭さと社会的判断の現実離れに驚いた。私がある企業経営者について個人的な評価を述べると、一人の教授はその人物の『名誉博士号』は本物の学位ではないと言った。私はあきれた。その経営者の人物像を全面的に評価するわけではないが、企業を存続させ、納税を続けるためには学び、耳を傾け、考え、管理し、次々と起こる問題を解決しなければならない。その経験には博士号五つ分の価値があると思った。
私たちの生きる世界は絶えず変化し、至るところに課題がある。今日の常識や合意が明日には時代遅れになることもある。ハーバード・ビジネス・スクールのある教授が、昔取得したMBAは期限切れとして無効にすべきだと語ったという。学位を重視しすぎた結果、職業技術教育は軽視され、工場では熟練工が不足し、技術訓練を受けたい人も少ない。高学歴でも適職を見つけられず親に依存したり、社会環境のせいにして責任を回避したりする人もいる。こうした不満と失意は、やがて社会全体の重荷となる。
インターネットの普及を踏まえ、知識の継承、教育、雇用に迫る大変革を新たな視点から考える必要がある。具体的には次の五点を提案する。
- 小学校から高校までの基礎教育と学校での集団生活を、八年間の義務教育に短縮する。
- 従来の大学教育を廃止し、オンライン授業に実習、実験、臨床研修、工場研修を組み合わせる。現代のコンピューターの音声や映像は教室の講義や黒板に劣らない。疑問や異議には多数の回答、議論、交流が得られ、教える側も学べる。授業動画は大勢が同時に視聴でき、複製・反復再生でき、優れた教材や指導法を編集して選べる。授業内容が公開され競争にさらされれば、現在の大学教授の九割以上は淘汰されると筆者は考える。
- 生化学分野の実験や医療・看護分野の臨床実習のため、実験室と臨床施設を新設または更新する。
- 電気・機械などの分野で実際の設備を観察・操作し、学習成果を検証できる実習工場を整備する。企業との契約によるインターンシップや委託訓練も組み合わせる。企業が長年蓄積した製造技術や高価な自動化設備を活用すれば、政府の支出を大幅に減らせる。
- 中山科学研究院や中央研究院など、特定の目的を担う研究機関を新設・強化する。ウイルスに対抗するワクチン、戦略兵器、通信網の維持やサイバー攻撃の防止に必要な技術・設備を研究開発する。こうした高額な研究の成果は国家の知的財産とし、研究参加者や私人が企業と結託して私益を得、国益を損なうことを厳禁する。
以上の五つの提案によって、現在の大学教育を全面的に代替できると筆者は考える。学習者は時間や場所に縛られず、興味のある科目を自分のペースで学べる。盗用や不正を防ぐ厳格なオンライン能力試験と、実習時間・成果の評価を組み合わせれば、医師、弁護士、電気・機械技術者、商業、人文、語学など幅広い分野の人材を育成できる。就職後も各自が実務と自由競争を通じて能力を磨き続けることになる。
教育の大改革は雇用のあり方も変える。形式的な学歴の束縛がなくなれば、雇用主は職種ごとに必要な知識、履修すべきオンライン科目、実習の時間と成果などを明示できる。学びと仕事が一致し、一人ひとりの才能を生かせる社会となる。
改革には既得権益層から穏やかなものも激しいものも含め、嘲笑や妨害があるだろう。それでも政府には理想を掲げ、困難を恐れず進んでほしい。私の現行教育制度への批判が、より建設的で周到な国民的議論につながることを願う。多様な知見を集め、21世紀半ばまでに台湾を小さくとも優れた、世界から注目される強国にしたい。